【89ERS PRESS Vol.51】泉秀岳の心 - 仙台89ERS
アウェーでの連勝などでB2東地区3位をキープする仙台89ERS。故障者も出ているが、B1カムバックを目標に掲げる上では、何がなんでも白星を増やしていかなければならない。ここ数試合はスタメンに起用され、元気なプレーでチームを鼓舞し続ける泉秀岳選手。今後の活躍に一層の期待がかかる泉選手が、バスケへの情熱やこれまでの歩みについて語った。(11月28日取材)
遅く始めた分、「早く追いつき、追い越せ!」と頑張った
実のことを言うと、僕がバスケットを始めたきっかけは、たまたま目の病気に罹ったせい‥。中学1年の夏、突然目の前が、テレビのザーッでいう画面のようになり、網膜剥離と診断されて手術を受けました。半年ぐらい何もできず、無事回復はしたものの原因は不明。ただ、それまで熱中していたサッカーと空手は、目への影響が危ないと、ドクターストップがかかってしまいました。
しばらく悶々としていたけれど、バスケ部の先生から声がかかり、医師のOKももらって中学2年からバスケ部へ。そうしたらそのチームは地元狭山市で優勝するぐらい、代々強いチームだった。優秀な選手が多く、もちろん自分が一番下手。とにかく早く上手くなりたくて、休みの日もずっとバスケ漬けでした。身長もあったせいか、3年の時はスタメンになることができました。
教員資格を取りつつ、プロの道を模索した学生時代
プロ選手を意識し始めたのは高校時代。2年で県選抜として大分国体に行った頃から、自信がついてきた。中学の時にすごく上手いと思った仲間にも追いつき、追い抜いたかもしれない・・・と思うこともありました。ただ当時は、プロになっても先が見通せない状況だったので、教員資格を取っておこうと順天堂大学に進みました。バスケ部は今でこそ関東2部だけど、あの頃はまだ強くなく、ベース作りという感じでしたね。
大学4年にバスケ部を引退した後、地元の埼玉ブロンコスの練習生も経験。でも、自分が思い描いていたチーム像とはあまりにも違ったため、1カ月ほどで離脱してしまいました。
プロを別の道で目指すか、それとも教員かと思い悩んでいる時、東京Z初代ヘッドコーチの小野秀二さんから、創設メンバーとして声をかけていただきました。小野さんは、たまたま中学時代にお会いして以来、気にかけてくれていて‥、ありがたいですね。その時、やはりプロとして歩もうと決めました。
東京Zに2年間在籍し、その後愛媛に行き、さらに東京エクセレンスでもプレーしました。
家族のお陰で、好きなことに没頭できてきたことに感謝
僕の実家はお寺で、秀岳という名前も父の師にあたる方が、「1つのことに、山のように大きく秀でた人間になるように」と付けてくれたそうです。一方で家族は父が柔道、母がバレーボール、すぐ下の弟がバスケ経験者、一番下の弟は大学野球現役で実業団かプロを目指すという体育会系。男3人兄弟ということもあってか、僕は長男だけれど、跡継ぎの話はまだ一度も出ていません。父は好きなことをどんどんやりなさいと言ってくれ、母は子どもの頃から送迎などサポートをたくさんしてくれました。
こうして今まで好きな事に没頭してこられたのは、家族のお陰ですね。ただ現実的に考えると、すぐ下の弟は公務員になっているので、ゆくゆく寺に入るのは、僕か一番下の弟になるかな。
何にでもトライするといえば、東京エクセレンス時代、チームメートの石田剛規さんが3×3『湘南サンズ』のオーナーでもあり、誘われてオフからチームに入りました。ハーフコートで1試合10分間というものの、3人だけなのでかなりハード。アマチュアとプロが混在し、お互いに刺激し合いながら試合もこなし、いい経験を積んだ。オフシーズンのコンディション維持にもってこいですが、チームに入ってすぐに仙台に来たので、また次のオフでプレーするのが楽しみです。
仙台の素晴らしい環境を活かすためにも、まず結果を出す
仙台は5,000人以上のアリーナをはじめ施設が整っていて素晴らしいなと思いました。うちのチームは、今のところ結果がついてこないけれど、改善の余地は沢山あります。宮城はスポーツが盛んな県だし、ブースターもしっかりとバックアップしてくれているので、この環境を活かすためにも、まずコートで結果を出さなきゃいけないと痛感しているところです。
故障者がいたとしても、出場できるメンバーで勝ちに行くのがプロ。ただ今季はコーチも選手も大きく変わり、まとまり切れていない部分がまだあるのかなと思っています。選手同士のコミュニケーションをもっと深め、息の合った強いチームにならなくては。そこが肝心だとわかっていても、なかなか難しいですね。少しずつ良くなっているとは感じます。
自分は得点にからまなくても、チームが円滑に回る動きを徹底
僕個人の課題は、故障の坂本ジェイ選手に代わって出る時の動き。オンザコート(外国籍選手の出場枠)ワンかツーで、3番ポジションか4番ポジションになるけれど、実はこの両ポジションの動きは真逆なんです。2番ポジション・3番ポジションと、4番ポジション・5番ポジションは対角になるだけで基本は同じ。3番ポジションか4番ポジションをやるとなると、2番ポジションと5番ポジションも含め4つを覚えなくてはなりません。
チームでこの役割が果たせるのは僕だけだと思うので、とにかくチームが円滑に回るように頑張る。自分は直接得点にからまなくても、思い切り走って次の選手を活かす。他の選手もお互いの動きや、得意な部分がわかってきているので、そこをしっかり追求していきたいです。
僕が試合に出るのはチームの流れが悪い時が多い。がむしゃらに走ったり、リバウンドに飛び込んだりして、局面を突破できるよう努めています。プレーでアピールしたいのも同じで、ハードなプレー、元気良くコートを飛び回り、チームの起爆剤になるようにしたいです。
「攻撃こそ最大の防御」、「何をするかではなく、誰とするか」!
自分の性格は、盛り上げ役というかお調子者というか、生まれてからずっとこんな感じ(笑)。タケさん(志村選手)のよに9歳離れていても普通に話せ、誰とも壁を作らないで仲良くなっちゃいます。でも、つい調子に乗り過ぎることもあり、タケさんがビシッと言ってくれるので助かります。
座右の銘の1つは「攻撃こそ最大の防御」、常に攻撃の精神を持とうということ。例えばディフェンスでも攻める気持ちが必要、守りに入ってしまっては何もできません。もう1つは「何をするかではなく、誰とするか」。人を大事に考えていけば、自ずと事は成るというようなことかな。バスケも個人プレーよりチームプレー、人と人とのケミストリーが大きなパワーになる。これらを実践して、いい方向に進みたいです。
尊敬する人物は、プロ1年目のチームメートで、今アルバルク東京のアカデミーコーチ・渡辺拓馬さん。13歳も年上だけれど平等に接してくれ、日本代表時代の話とか、人生の色んなことを教わりました。僕の背番号12の由来も含め、彼のお陰で現在がある。今も相談に乗ってもらっています。
バスケができることに感謝し、毎日をもっと充実させて向上!
仙台は都会だから生活に全く不便は感じません。牛タンは大好き、ずんだ餅はまだちょっと慣れないかな‥。1人暮らしが長いのでそれなりに自炊もし、得意料理は豚キムチ。学生時代は友人たちとホットプレートで作ったりしてました。今はチームで栄養指導を受け、野菜炒めにチーズを入れて栄養素を増やすとか、パプリカの彩りで緑黄色野菜のバランスを良くするとか、あれこれ挑戦もしています。
最近のブームは、練習帰りにチームのみんなでお風呂に行くこと。露天にある大きくないつぼ湯にぎゅうぎゅうに入ったりして、身体を癒やし楽しみながらコミュニケーションを深めています。
僕の生活はバスケが中心で、当たり前のように練習し、試合もしています。でも、引退した選手が「無性にバスケしたくなる。自分はこんなにもバスケが好きだったんだ」と言っていると聞きました。今、こうしてバスケをできることはとても幸せなことだと再認識し、もっともっと毎日を充実させていかなくてはと思います。
現在、チームは徐々にまとまってきているので、試合の多いこの12月に1つでも勝ち星を増やし、そこから気分を一新して新年を迎えたいです。ブースターの皆さまと勝利の喜びを分かち合えるよう、一生懸命頑張っていきます。これからも変わらず、熱い応援をお願いします。