【89ERS PRESS Vol.50】藤田浩司の心 - 仙台89ERS
現在6勝9敗、B2東地区4位に甘んじている仙台89ERS。これから中盤に向け、とにかく総力を結集して連勝し、上を目指さなければならない。そのカギを握る1人が、高い身体能力でポテンシャルを秘めるこの選手だ。プロ2季目で仙台に加入した藤田選手が、これまでの歩みを振り返りながら、心境を語る。(11月1日取材)
旧bj福岡・川面剛さんの助言が、プロに入るきっかけに!
僕が影響を受け、リスペクトする人物は、九州共立大学時代のバスケ部監督、川面剛さんです。かつてbjリーグ福岡の初代キャプテンとして活躍し、現在は大学バスケだけでなくさまざまな活動で地域に貢献し、40代になった今でも175cmの身長でダンクシュートをしてしまうすごい人。大学3年の時、彼から「プロを目指したらどうか」との助言を受けたお陰で、今の自分があるんです。
そして、大分の稙田中時代の泥谷先生と三ケ尻コーチも、影響を受けた恩師たちといえます。それまで楽しくやってきたミニバスとは打って代わり、三ケ尻さんには怒られてばかり。キャプテンだった僕に「立場を考えろ」とか「他人のせいにするな」とか、人として生きる上で大事なことを教わり、心身ともに鍛えてもらいました。色々言われて落ち込むこともあったけど、そのお陰で精神的な強さが身についた気がします。今でも大分に帰れば連絡して、よく付き合っていただいています。
尊敬するのは母親。好奇心旺盛な自分を常にバックアップ
でも一番尊敬する対象で、有り難いとも思うのは母親かな。子どもの頃の僕は好奇心旺盛で、水泳やピアノを習わせてもらい、友達を集めて野球やサッカーをする時も温かく見守ってくれていた。
自分がバスケをするようになったのも、母のひとことがきっかけ。小学2年の時、ミニバスチームができることになり、団員募集のチラシを見せたら、「バスケは面白いからやってみれば」と言ってくれたんです。母も昔はバスケをやっていたとのこと。母は僕と2歳下の妹にたくさんの愛情を注いで育ててくれた。小学校教師をしながら、毎週末は兄妹で夢中になっていたバスケの応援にも来てくれました。
怪我の反省から、座右の銘は「順調な時ほど足元を見ろ」
小学、中学の頃の自分は身長が低く、中学3年でも160cmそこそこ。ところが部活を引退した途端に身長が伸び始め、高校に入るときには180cmぐらいになりました。だから中学までガードだったのが、高校ではフォワードになり、最後にはセンターポジションも。スラムダンクの山王工業の河田の感じでしたね(笑)。
やはり転機は、大学で川面コーチに選抜入りを薦めてもらい、プロも意識するようになった辺り。4年になる春休みには、当時のbj大分の練習生としてプロに混ざって練習し、いい刺激を受けたものです。
ただ、怪我にも泣かされました。大学に戻り、あと1勝すればインカレ進出という試合で前十字靱帯を断裂して脱落。念願のインカレに行けたものの、結局僕はユニフォームすら着ることができませんでした。
そして翌年、卒業して当時のbj東京のトライアウトを受けると、指名されて上京することに。勇んで練習に参加すると、なんと初日に大怪我をしてしまった。傘を杖替わりにして大分に戻って診察を受けると、やはり前と同じ十字靱帯断裂で、東京の話は流れ、1年間はリハビリ生活に。この時も、母親には迷惑をかけてしまいましたね。どうも完治していないのに浮かれてしまったようで、以来、「順調な時ほど足元を見ろ」という言葉を座右の銘にしています。
バスケ以外の経験も積んだ、プロ1年目の鹿児島時代
その翌年、僕が24歳になる年にBリーグが誕生しました。いくつかのチームのトライアウトを受けた結果、晴れてB2鹿児島でプロ生活がスタート。最初は苦労したけれど、徐々にプレータイムがもらえるようになり、終盤はずっとスタメンで出させてもらいました。忘れられない試合は信州戦で、終盤3点のビハインドから、僕がブザービーター3ポイントシュートを決めて同点にした試合。結局オーバータイムで負けましたが‥。
鹿児島時代はクラブが経営難で、バイトもしていたし、募金活動やチラシ配りも・・・。別に苦には感じなく、チラシを受け取ってもらうには低姿勢がいいとか学び、いい経験になったと思います。
そして今年の6月、仙台の中村代表から電話でオファーをもらいました。センダイと聞き、とっさに鹿児島の川内(せんだい)と勘違いしたほど突然の出来事‥。とんとん拍子に話は進み、7月初めに荷物をまとめて来て以来、九州には一度も帰っていません。
性格は「おおらか」?ストレス解消法は寝ること
仙台の練習に合流してみると、まず志村さんのバスケットに対する姿勢が、あまりにもストイックなので驚きました。練習でもウェイトトレーニングでも、とにかく徹底している。自分も頑張らなくてはと‥。一方で志村さんは、コート内外で気軽に声をかけてくれる頼もしい先輩です。どうしようか悩んでいる髪形も、志村さんに「長い方がいいんじゃない」と言われました(笑)。直毛なので短髪だと上にも横にもはねやすく扱いにくいんです。今のところ切る予定はなく、そのうちヘアゴムバンドをして登場するかもしれません(笑)。髭は剃るのが面倒で、長くなってきたら剃るようにしています‥。
チームに同い歳はいなくて、1つ下に京哉(谷里選手)、1つ上にヤナさん(柳川選手)と秀岳さん(泉選手)、2つ上に海斗さん(石川選手)とか‥。京哉は車がなく、僕が送迎係のようになっていて、食事を一緒にすることも多い。海斗さんや他の先輩にも、よくご飯に誘っていただいていますね。外食が多いけれど、たまにご飯を炊いて納豆や卵をかけて食べることもあります。
自分の性格はというと、おおざっぱでマイペース。おおらかと言ってもらえると嬉しいかな(笑)。とはいえ、コーチや周囲からの叱咤が重なると、心は痛むしへこみます。そこから這い上がるためには、ストレス解消法も同じで、寝ることでしょうか。家では暇さえあれば寝ていますよ(笑)。
周囲から信頼を得るよう努力し、ダンクも狙っていく
プレー面では、自分の武器はスピードと跳躍力。外角シュートが上手い方ではないので、速いドライブからレイアップシュートに行きたいですね。それと、練習でたまにダンクしますが、ブースターの方から「試合でダンクして見せて」と言われる。機会があれば狙っていきたいですね。
でもそれよりも、僕としてはまだまだチームに貢献できていない状況です。ディフェンスではスクリーンの抜け方が下手で、タケさんからも指摘されてばかり‥。オフェンスも10月末の秋田戦では、15秒間にターンオーバーを複数回やってしまった。とにかく単純なミスを無くし、改善していかないと話になりません。僕としての目下の課題は、攻守ともしっかりとプレーし、いかにコーチやチームメイトの信頼を獲得していくかです。
攻守とも一丸となってパワーアップ。ホームで「連勝」を
チームはまだ発展途上の段階で、開幕時に比べれば断然良くなっていると思います。修正中のオフェンスは、これからも細かい部分を覚えなくてはならず、試合をしてみないと分からないけれど、きっと良くなっていくはず。ディフェンスに関しては、対戦相手ごとにセットオフェンスをスカウティングして臨むものの、セットが崩れた後の対応が問題。どんな状況にあっても身体を張って止められるよう、1人1人がディフェンス力を高めていかないと‥。課題は多いですね。
自分のシーズン目標は、当初からの「B1復帰」。簡単なことではないけれど、チームの決まりごとを守りながら、ぶれず強い意志で進んでいくつもりです。
いつも熱いブースターの皆さんへ、必ずホームで連勝をお見せできるよう頑張っていきます。応援をよろしくお願いします。